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<行道岩(導または堂とも書く)と役行者>
奈良朝時代に役行者(えんのぎょうじゃ)という人がいました。この行者は修験道の祖といわれ、空が飛ぶことができるとして、その名声は都まできこえていました。 ある年、この行者が伊吹山の七合目辺りの北麓に行道岩と呼ばれる断崖で修業している時、都から使者が訪れ、「天皇が病に伏せられたため、病回復の祈願をしてほしい。」懇願しました。 始めは修行の身であるからと断ったそうですが、何度も懇願し、帰ろうとしない使者の天皇をあまりにも思う心についにほだされました。 すると行者は、たちまちに空を飛び、琵琶湖の上を横切り、その日のうちに都に着き祈祷をしたところたちまち全快されたということです。 |
▲今も、伊吹山に修行を求めて念仏僧が訪れる。 |
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<行道岩と幡隆上人> 幡隆(ばんりゅう)上人は、江戸後期の人で槍ヶ岳の開祖として知られています。この上人も役行者と同じように伊吹山の行堂岩で修行をしていたエピソードが残っています。 |
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上人が下山する日は常にない大雨でした。 しかし、上人は雨傘もかぶらないで山を降りました。 「お上人様を見てみよ。」 と迎えに出た村の一人が叫びました。何としたことでしょう、上人の衣はこの雨に少しも濡れていないので、村人の驚きは大変なものでした。上人が草庵から出るときは、暗夜に火をともさないで、ただ念仏を唱て往来したというのです。普通では考えられないようなことが数々ありました。いつしか村の人たちは幡隆上人は「生き仏様だ」というようになり、遠近より上人をおがむため多くの人が訪れたということです。のち一心寺を建立し、笹又には幡隆上人の地尊もあります。多々の人に悦を与えた上人は、天保十一年加茂郡太田で、この世を去りました。 |
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