江戸時代に描かれた伊吹山の図
作成:筒井杏正

 江戸時代、伊吹山は山麓の村々をはじめ山頂まで彦根藩の藩領(井伊家)でした。下図は、元文4年(1739)に伊吹山を中心にして、その山麓周辺の集落を描いた鳥瞰図で、井伊家文書として記録された貴重な資料です。
 この中には、現在に残る史跡や名称が描かれているとともに、里人が山腹の5合目辺りで大根畑、また今の伊吹鉱山内では、広大な範囲のそば畑を作っていたことが記されています。
 このことは、今も辛み大根のブランドとして作られている「伊吹大根」、また日本そば発祥地の一つとしてあげられる由縁が、ここに証されるのでないかと思われ興味が一段と増します。
 また、東南の山麓では典型的な山岳寺院として栄えた弥高寺と戦国時代の名将京極氏が居城した山城「上平寺城跡」も記されています。

 下段に現在の伊吹山の地図を載せましたから、古と変わらないものは何か、また変わり失ってしまったのは何か、比較してご覧ください。
▼江戸時代に描かれた伊吹山の図
 ▼現在の伊吹山周辺の地図