伊吹山のすそに弥高山という山があるのを知っとるのう。 あの山に大昔から「神さんの山やで、みだりに入ってはならん」という、言い伝えがあってのう。めったに山に入るものがおらなんだ。 ところが、ある年の祝い膳の後、酒に酔うて、気の大きゅうなった、ふもとの村の若者が、 「そんな言い伝え、くそくらえや!」いうて、雲ひとつない、よう晴れた弥高山へずんずん登っていったんじゃ。 |
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と、ふいに枯れ草の中から、一匹の白兎がとんで出てきて、じーいとこっちを見て動こうとせんので、よしっ、捕まえてやれ、と近寄って行って手ェ伸ばした。すると、白兎が、ぴょんぴょん逃げる。 また立ち止まってこっちを見る。 そんなことを繰り返しているうちに、いつのまにか若者は、行きも帰りもならぬ山深いところへ迷い込んでしもうた。 |
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えらいとこへ来てしもうたわい、とあたりを見回すと、なんと村人が「王塚」と呼んで恐がっている、大きな墓のそばでのう、若者は酒の酔いもいっぺんにさめて、ぶるぶるふるえだしよった。 | |
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そんな若者の前にのう、こんどは白い小袖に目のさめるような真っ赤な袴をつけた、美しい娘が現れたんじゃ。若者は、あんまり美しいもんやで、うっとり眺めてると、突然美しい娘の顔が、見るもおそろしい般若の顔に変わってのう、
「人が来た、人が来たァ!」 と大声で叫びだしたんじゃ。 若者は、真っ青になって歯をガチガチふるわせてると、般若の顔の娘はなおも、 「人が来たぞォ、人が来たぞォ!」 と叫ぶんじゃ。 |
その鋭い叫び声はのう、まわりの山にこだまして、そらもう気味の悪いこというたらこの上なしでのう、若者は生きたここちがせなんだ。
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「おたすけくだされ」と、若者は心の中で手を合わせてると、こんどは、 「ギァッ!」 般若の顔の娘は空に向かって異様な声で叫んでな、パッと姿を消してしもうた。 若者は、ほっとして空を見上げるとのう、いまのいままでよう晴れていた空が、一天にわかにかき曇って、大粒の雨が滝のように降ってきたんじゃ。それだけやない、山が裂けるかと思えるような物凄い雷鳴が走って、若者はとうとう気を失うてしもうた。 |
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かなりの時が過ぎて、正気を取り戻した若者があたりを見回すと、なんと、濃いもやの立ちこめた杉木立の中にいたんじゃ。 やがて、もやが薄うなってきて、すーうと風が吹いてきたと思うと、目の前に白髪頭の老婆が立っていてのう、 「お前は、神さんのお許しもないのに山に入ってきた。 |
ふつうならさっきの雷で死んでるとこじゃが、神さんは、きょうのとこはお慈悲をもって見逃して下されたんじゃ。ありがたいと思え。けども、罰として弥高村への帰り道は教えんさけえ、せいぜい苦労して帰れ。」いうて、老婆は姿を消してしもうた。 | |
日暮れは近づいてるのに、どっちを向いても杉の木ばっかりで、若者は途方にくれていた。するとのう、足元の草がガサゴソ音を立てたとおもうと、けさがたの白兎が、ひょいと顔を出したんじゃ。 若者は、そうや、これに聞こうおもうて、 「おまえに誘われてこんな山奥に迷い込んでしもうた。たのむさけえ、どっちへいったら村へ帰れるか、教えてくれ。」 そういうたんじゃ。 するとな、兎の姿がさっと消えて、代わりに、般若の顔になるまえの美しい娘が現れてのう、 |
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「わたしは、この山の神にお仕えしているミコやさけえ、教えられんが、ちょっと待っておれ、神さんが教えてくれるはずじゃ。」いうて、またも、姿を隠してしもうた。 あたりは暗うなるし、寒いし、腹がへるし、若者は、心細うて死ぬ思いじゃった。けども、待つしかないので、じーいと待っていたんじゃ。 するとな、遠くの方から、かすかに、鐘の音が聞こえてきたんじゃ。おや、聞いたことのある鐘の音じゃ思うて、耳をすましてよーぉ聞くと、なんと村のお寺の鐘じゃ。そうか、神さんが帰りの道を教えるゥいうたんは、この鐘の音にちがいない。 若者は、やっと安心してのう、 「ミコさん。おおきに、おおきに。」 いうて、鐘の鳴り終わらんうちに、一目散に村にもどってきたということじゃ。
※文は、未来社「近江の民話」より引用。
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